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2007年6月 4日 (月)

うすゆきそう雑記


レオントポディウム・ナヌム」 この名前で種子を入手したものです。インド・ラダカ5000m産の小型のウスユキソウです。一応頭花は一つのようです。
僕は昔からウスユキソウの仲間が好きです。
なぜか・・・と、言われると困るのですが・・・・
多分、身近に「エーデルワイスマニア」の方がいろいろおられた為でもあるかも知れません。
鈴木吉五郎先生、大野歌子さん、秋草実さん・・・皆さん既に故人となられてしまいました。
でも、僕が「ウスユキソウマニア」になる一番の影響を与えてくださったのは、東京山草会の古い会員の方で、故人となられた志方欽二さんです。
志方さんは、僕の実家から歩いて10分もかからない、三ノ輪駅の近くに住んでおられました。
10代の頃に「ダーリングトニア」(志方さんは食虫植物の世界でも有数の著名な方でした)の栽培を伺ったのがきっかけで、おそらく年の差60歳近い、最も身近な「草友」でした。
考えてみれば志方さんは、当時「最高」と誉れ高いホウオウシャジンの矮小選別品をお持ちで、僕のウスユキソウやシャジン好きは志方さんの影響がかなりのものと思います。
特に谷川岳で選別された葉の丸いミネウスユキソウには想いが強く、「マルバウスユキソウ」と呼んで自慢の逸品にされておられました。
ウスユキソウの話になると、必ず最後は「マルバウスユキソウ」の話でいつも終わります。
家の中にも大事そうに「マルバウスユキソウ」や、当時としては珍しい「カタオカソウ」の花の写真が大切に飾られていて、よく思い出話を伺ったものです。
志方さん、秋草さんの「ウスユキソウ」に対する思い入れは、誠文堂新光社の古い一連の「山野草の本」に色々と綴られています。是非ご一読をお勧めいたします。

さて、このウスユキソウの仲間を色々集めてみようと考えたのは何時の頃からでしょうか。
世界中には魅力的なウスユキソウが沢山あります。
ところがです!!
当時、色々な写真を見ているうちに「コリャ~大変だあ~」と思う問題が出てきました。
たとえばレオントポディウム・ヤコティアヌム!!
このヤコティアヌムの写真を5枚見ると・・・そう、5枚とも花も姿も・・・全く違うのです。
ウスユキソウの仲間は、同一の種類でも標高や生育条件によっても大きく花も姿も異なります。
国内でもエゾウスユキソウ等は、同じ北海道でも産地によって大きく異なります。
それどころかホソバヒナウスユキソウ等は、尾瀬の至仏山と谷川岳では姿や感じが異なります。
事実、種類の多い東アジアや中央アジアのウスユキソウ等は、分類したものでもよく解らないものが多々あります。
ましてや、「栽培品の姿」なんかでは、判別の付け難いものが数多くあります。
タネで入手した場合は、その種子リストを参考にすることが殆どです。
それでも、多くの場合は現地での判別困難なのか、aff.cf.sp.等と言う余計なスペルが付いている事も少なくありません。
調べようもないですね・・・。
それでも「エーデルワイス」・・・好きですね!!
植物の栽培を続けている間は、僕の「ウスユキソウ」に対する執着は止まるところがありません・・・きっと!!

レオントポディウム・SP」 チベット・バンブダ4700m産の種子を入手したもので、「aff.ニワレ」として入手したものです。葉に銀毛があり、吉田外司夫さんの本の「レオントポディウム・プシルム」に似た雰囲気の小型種です。

レオントポディウム・cf・ヒマラヤヌム」 四川・リタン4100mのタネからの実生で、全体にすっきりとした小型種です。このタイプも色々あり素人目には判別不可能ですね。

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コメント

オー!ウスユキ草の事になったら、食いつきがいいねえ、オラも。
ホソバヒナウスユキ草を長い間作っていました。である時「色々買えるんだ。」と気づいて、いろいろ注文するやうになって、
その長い間作っていた個体は、絶えてしまいました。ニワレ・ピリンホームって言ふのを3年ぐらい作りましたが、白毛がきれいで、も一回挑戦したいです。
私も古い「新花卉」や「ガーデンライフ」を持っているので、鈴木吉五郎さんは、もちろん秋草実さん、見覚えのある名前で、
とっても懐かしいです。つい最近までご存命だったんですね。サボテン少年だった昔を思い出しました。
食虫植物少年だったころ、なんか研究会に入っていて、会誌で知り合った人が高校のすぐ前にお住まいで、尋ねていったことがあります。その方は髪結いの亭主で、パーマ屋の3階は、全部その人のスペースです。
テラスには、いろいろはじめて見るやうな
食虫植物がイッパイ在って、部屋のほうは天井全体がスピーカーのようなオーディオルームです。此の体験がその後の私の人生に悪影響を与えたことは、間違いありません。
ところで菖蒲市って、深沢七郎のラヴミー農場が在ったとこなんですね。いまも何か在るんですか。次男が、さいたま市に住んでいて、「菖蒲市に連れて行ってよ」って言ふんですが、「そんな所、知らない」なーんて、のたもうのです。

木彫店様、こんばんは。
ご高齢になられてからといっても、偉大なる諸先輩の方々の話しが聞けた僕はとてもラッキーだったと思います。
10代から20代の頃は食虫植物も大好きでした。
(一時は研究会で企画委員なんぞもしておりました)
この世界も多くの方々から色々な勉強をさせていただきました。
特に、惜しむべく故人となられました日下部勇先生には、輸入して間もない色々な植物を御分与いただき、若輩者の僕をとても可愛がってくださいました。
「大阪山草倶楽部」の最後の重鎮でしたので、まだまだ多くの話を伺いたく、とても残念です。
はがきにビッシリと書かれた文字が、氏の几帳面な性格をよく現しておりました。
春及園世代・実際園芸世代の方々が次々と故人となられるのは寂しい限りです。
でも、これら諸先生方の当時の意思やこだわりが、ほとんど後世に伝わらなくなっているのが一番残念ですね。
僕もこの町に来てまだ10年ですので、ラヴミー農場についてはよく解りません。
今度調べておきますね。

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